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かめぱぱの身近なところの史跡を訪ねる
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大舘氏明公の首塚を訪ねました


前にご紹介した真光寺の近くに大舘氏明公の首塚があります。
ワールドプラザというショッピングモールの直ぐ近くの住宅の庭の片隅に作られています。

大舘氏明公については前にもご紹介いたしましたが、今回もご紹介しておきます。

新田政義の二男 大舘家氏を祖とします。
本姓は、河内源氏。

家氏公は現在の群馬県太田市大舘町に住み大舘を名乗りました。

大舘氏明公はその家氏公の孫になります。

足利氏と同族の新田氏支援であったので足利尊氏が室町幕府を開くと氏明公の系統の大舘一族は幕府の要職を務めました。

前回、世田山、真光寺でご紹介したように、南朝忠臣大舘氏明公は、新田義貞の甥にあたり武勇にすぐれ、伊予の守護に任せられ世田城主となります。

1342年 北朝方の細川頼春の大軍1万余騎が攻め入り遂に力尽き城に火を放ち17勇士と共に切腹します。

時、9月3日 氏明公 38才



前回、真光寺を訪れたときに首塚も訪れるつもりでしたが探したのですが場所が分からず一度はあきらめて帰りました。

今日分かった事ですが、前回は申し訳ないことに前を気付かずに素通りしていました。

今日、改めて行かせていただいたのですがそこで興味深いことを聞きました。

昔はこの首塚にお参りすると目の病気が治ると言うので目の悪い人が多くお参りしたそうです。
この事は初めて知りました。

実は、自分はここ暫くの間、目が充血して目やにが出て、特に右目は開けられない状態でした。
この首塚のご紹介を後にして、他の史跡のご紹介をとブログの更新をしようとすると目がひどくなります。

パソコンの画面を見るのも苦労する状態でした。

今日は、お線香をあげさせていただき、心からのお詫びと供養を祈らせていただきました。
不思議と今日は目の充血も治り、以前と変わらなくなりました。

迷信かもしれませんが、お近くに住んでいて目の悪い方はお参りをしてみてください






# by kyd575 | 2009-06-27 00:03
自転車に乗って~しまなみ海道のご紹介~
このブログを読んでくださっている県外の方や、このブログに訪問してくださった方を今治市に招待できたならまず最初にどこに連れて行ってあげようかと考えた時に一番に思いつくのはしまなみ海道でしょう。

今回は史跡めぐりをお休みして、しまなみ海道をご紹介します。

しまなみ海道は、愛媛県の今治市から広島県の尾道市に向かう途中に存在する島を、6つの橋でつなぐ海道です。

この海道は車だけでなく、自転車や徒歩で渡ることができ、距離にして69キロに及びます。

平成8年(1996)一般公募により、愛称が「瀬戸内しまなみ海道」となりました。

待望の全線開通は平成11年(1999)5月1日。

来島海峡大橋と多々羅大橋が開通し、今治と尾道が結ばれたのです。

ちょうど今年で10周年を迎えました。

このしまなみ海道の特長は十の橋がそれぞれ異なる形式で作られていること。

また、美しい橋の姿を眺めるため、随所に展望台がもうけられていること。

自転車や歩行者も通行できるため、間近にしまなみ海道の美しさを楽しむことが出来るのです。

四国側の最終点、世界初の三連吊り橋、来島海峡大橋が特に有名です。

今治と大島の約4キロを三つの橋で結びます。

その三つの橋は来島海峡第三大橋が一番長く1570メートル。

続く来島海峡第二大橋が1515メートル、来島海峡第一大橋が960メートルとなっています。

塔の高さは海面から184メートルです

東京タワーの約五分の三の高さになります。

橋桁の高さは65メートルとなっています。



来島海峡大橋には偶然発見された秘密があります。

平成9年11月22日のこと、大島側から来島海峡大橋を見ると今治側の橋の真ん中に太陽が沈むことを公団の人が発見しました。

写真をご覧ください。

冬至をはさんで年に2回、1月の半ば頃にもう一度この光景が見られるそうです。

来島海峡は、伊予水軍の本拠地として名を馳せています。

この海峡は鳴門海峡、関門海峡とともに日本三大急潮として知られています。

小さな島々が点在する瀬戸内海きっての景勝の地です。

来島海峡は四つの狭い水道に分かれ潮の流れは10ノットにも達します。
渦がたくさん発生します。

来島海峡は一日1000隻あまりの大型船・中型船が航行する瀬戸内海の難所になっています。

また、この来島海峡の急流に揉まれて育った瀬戸内の小魚類や鯛の類は絶品の味です。

今治市サイクリングターミナル「サンライズ糸山」にはレンタサイクルも置かれています。

全国の自転車愛好家の中には二度目以上のリピーターが多く、日本にはまだ少ない自転車専用道路であり、6つの橋をすべて自転車で渡れるようになっています。

専用道路のため、危険物に対してのストレスもなく、自然と一体になれる感覚はとても素晴らしいものです。

今回は、ブログではあまり多くの写真をご紹介できないことから写真を多く使ってスライド式動画を自分で作りました。

曲は写真に合わないかも知れませんが、古い曲で高田渡さんの「自転車に乗って」で作りました。

これを見て一緒にしまなみ海道を自転車に乗って渡っているような気分になっていただければ嬉しいです。


自転車に乗って~しまなみ海道編~






*もし、動画が観えないときは動画の上の「自転車に乗って~しまなみ海道編~」という文字をクイックしてください。
自分のYouTubeにとべるようになっています。
# by kyd575 | 2009-06-18 16:20
真光寺(今治市東村)に行ってきました。


今治市東村になる海松山真光寺は白鳳元年(672年)道昭法師によって開創された由緒ある古利です。

詳しい説明は境内入ってすぐの立て看板に詳しく書かれていました。
屋根の影が写って視にくいですがこちらをお読みください。(クイックすると大きくなります)



今回、このお寺を訪れた理由は前にご紹介した大舘氏明公にご縁のあるお寺であり、世田山から続く供養の為に来ました。

南北朝時代に入ると、南朝方の大舘氏明、篠塚伊賀守などの諸将が世田山に篭って府中を占拠し、失った勢力の挽回をはかった。

これを制圧せんとする北朝方の細川頼春は興国三年(1342年)七千の大軍を率いて伊豫に来攻し、府中拝志郷に入って、この真光寺に本陣をしきました。

炎天下の壮絶な攻防四十余日。

南朝勢も衆寡(しゅうか)適せず、ついに惨敗を喫し、大方の将兵は壮烈な討死を遂げました。

このとき、主将大舘氏明の首級はあげられ、この真光寺において首実検に供されました。



本堂になります。



本堂の東側には伊豫守護 大舘氏明公の供養塔があります。

石室の内部には、南北朝合戦ゆかりの地の祈願土砂ならびに祈願文、写経など百余巻が埋納されているらしいです。

首塚も近くにあるらしいのですが、何処にあるのか分かりませんでした。

無念の死を遂げた大舘公と南北両軍の犠牲者の武士達の御霊の供養を心から祈らせていただきました。



近くにあった説明の看板です。

帰ろうと思ったら心温まるものを見つけました。







どれも小さなものなので盗まれない事を祈りながらこの場を後にしました。
いらない心配であってほしいです。

# by kyd575 | 2009-06-15 22:08
世田薬師をお参りする


前回ご紹介した世田山のふもとに現在の世田薬師があります。
地元ではとても有名なお寺なのですが今回始めて参ることができました。

世田薬師とは1280余年の歴史を持つ古刹です。

この「世田薬師」という名前は正式ではなく、西条市と今治市の境にある世田山(335m)の山上に奉られているお薬師さんだからというのでこの愛称で呼ばれています。

正式には山号を世田山、院号を医王院、寺号を栴檀寺といいます。

この栴檀寺という名前は、神亀元年(724)行基四国順錫の折、山上に薬師如来のご来迎を拝し、そのお姿を「栴檀は双葉より芳し」という栴檀の一木に刻み寺を開いたことから名付けられたと言われています。

お奉りしているご本尊は、珍しい立像の薬師如来なのですが、秘仏である為、一般には公開していません。

この立像の薬師如来は、特に霊験あらたかと信仰を集め、近隣に末寺十二坊を数え、山岳仏教の一拠点として栄えたといわれています。

昭和2年に世田山山上より大師堂と、三宝荒神堂等を山麓に移し現在の姿へとなりました。

長い歴史を持つ「世田薬師」は、色々なめずらしい信仰の行事があるのですが、その代表的な行事に約300年前より伝わる「きうり封じ」があります。

夏の土用丑(うし)の日に「う」のつく「きうり」で身体健康、病気平癒を祈祷します。

元々は瓜を使っていたらしいですが、今ではきゅうりを使っています。

きゅうりに病気を封じ込める行事で、3年続けると病気の根が絶つと言われています。

今では、テレビ番組でも度々取り上げられているので全国的に有名な行事となっています。

この為、近年では厄除け、病気平癒、健康、合格、良縁祈願等の方々が多く訪れ賑わっています。

詳しくは世田薬師のホームページをご覧ください。

世田山城を舞台にした戦が繰り返され同じ世田山にあった栴檀寺の運命も例外ではなかったようです。

また、世田薬師の周辺は民話が多く伝承され、特に世田山上にある本堂の向拝についた左甚五郎の胴を切られた水呑み竜の話しは特に有名です。

世田薬師の近くにある、国道196号線沿いには、この竜を名前の由来持つ蛇越池があります。



本堂のすぐ隣には三宝荒神を奉ったお堂が経っています。

荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったようです

日本仏教の信仰の中で独自に発展した尊像であり、三宝荒神はその代表的な物です。

荒神様は我々に一番身近な神様です。

屋内では火の神(かまどの神様)、屋外では土地の神(屋敷の守護神)として祀られています。

不浄や災難を除去する神とされることから、火と竈の神として信仰され、かまど神として祭られることが多い。
これは日本では台所やかまどが最も清浄なる場所であることから、しだいに俗間で信仰されるようになったものです。

我が家も昔は台所に必ずお札を貼っていました。

今では見なくなりましたが、昔は年が明けると必ず近くの神社の縁の人がお札を売りに来てそれを買って貼るのが当たり前の事でした。


# by kyd575 | 2009-06-09 20:57
世田山に登り 大館氏明公のお墓参り ②


世田山山頂直下に奥の院があります。
山の中の小さな廃寺という感じでした。

昭和2年に麓に移るまで本堂だった場所、旧本堂の竜の彫刻は左甚五郎の作とも伝えられています。

登山道沿いのうぐいす谷にはお大師さん由来のあかの水、船曳き地蔵、訪問当時は石を切り出して建立中の大きな石仏にも出会えます。



この奥の院の隣に今回のお墓参りの目的の大館氏明公のお墓があります。

ひっそりとして人気は無く、大館氏明公のお墓の周りにはたくさんの古いお墓がありました。

この前で、妻の作ってくれたおにぎりと持ってきた麦茶を供えて、40有余日の戦いの中で満足に食べれなかったであろう当時の武士を偲んで一緒に食べさせていただきました。

自然の中で食べるのと、山道を登ってきたせいでお腹が空いていたせいでしょうか?
本当に食べれることに感謝しながら美味しくいただけたのでした。




大館氏明公のお墓の周りには変わったお地蔵さんのようなお墓がたくさんありました。
中には顔が3つのお地蔵さんがあり、お地蔵さんファンには一見の価値がありそうです。



簡単な大館氏明公の説明の看板がありました。



大館氏明公のお墓の近くにはこのような宝篋印塔(ほうきょういんとう)がいくつかありました。

これは、お墓ではなく経典などを納めるものです。

実は、後日紹介させていただきますが、今治市周辺は全国でもめずらしい国重要文化財(国重文)の五輪塔(ごりんとう)・宝篋印塔(ほうきょういんとう)・宝塔(ほうとう)・層塔(そうとう)の宝庫だそうです。



山道はこのように多くのお地蔵さんが立っています。
正確には数えていませんが、100体は軽く超えているでしょう。

道の端が崖になっていたりして昔のまま保存されてきた場所だという気がします。
山登りが目的の人でも何か霊山の雰囲気を感じるところだと思います。

ここは、四国の山のなかでもとても登りやすく気軽に来られる場所だと思います。
森林浴のついででも何でもいいですから、ここが大昔に多くの血が流れて無念の死を遂げた多くの御霊の眠る場所である事、こころの中で手を合わせる気持を持っていただければ嬉しいです。

普段の運動不足を痛烈に感じた日でした。
それでも、まごころで手を合わせたときの清々しさを感じた日でした。

今回撮った写真はこちらを見てください。
ヤフーフォト



# by kyd575 | 2009-06-07 19:25