
今回は、前回ご紹介した石清水八幡宮の八幡山の山腹に建つ四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所
栄福寺をご紹介します。
入ると直ぐに何体かのお地蔵さんと大きな弘法大師像が出迎えてくれます。
いかにも霊場という感じです。

少し歩くと左にある優しい顔の「お願い地蔵尊」は、観る度にお顔が違う、といわれる方が多く、お遍路さん地元の方の信仰、親しみを受けています。

分かりにくいですが、手洗い場の水は龍の口から水が出ています。

境内には大きな鐘があり、鳴らすととてもいい音がします。

大きな空海像があります。
弘法大師がこの地を巡錫した折、近辺の海で海難事故が多いことを知り、海神供養の護摩供を修しました。
その満願の日、海中より阿弥陀如来が現れたので、府頭山(八幡山)に一宇を建立して安置したのが始まりとされています。
後、嵯峨天皇の勅願寺となったといいます。
元は長福寺と称し、寛政4年(1792)に
栄福寺と改めました。
江戸時代までは石清水八幡宮が札所で、栄福寺が別当として祭祀や納経を司っていました。
明治の神仏分離により栄福寺は独立、札所を引き継ぎ、山麓の現在地に移ったとのことです。

左側が小さな
薬師堂です。
毎年、近所の子供達が夏に集まり、住職と薬師如来の真言を唱え、菓子などを供える事で、地域の身体健悟と無病を祈願しています。(大師堂でも同様の行事が毎年、行われています。)
昔、
薬師堂の前で花見をしていた若者達がふぐを食べて腹痛を起こし、残ったふぐを桜の木の根本に捨てました。
次の日にお寺に来て、桜の木が枯れているのを見つけました。
これは薬師が身代わりになったと考えられている。
それ以来、病気封じにお薬師さんにあげられた線香の灰を持ち帰る人が後を絶たないといわれます。
その隣にあるのは「
金比羅堂」です。

隣の売店でお土産に手ぬぐいを買いました。
長寿お守り手ぬぐい、88歳の方が書いた般若心経(字を読めない、書けない方にも解るように絵で書かれています)

大師堂
本堂と回廊で結ばれている大師堂は、本堂よりも古く、以前は山頂にあった建物の唯一の名残のお堂です。
建物の外周に施された12支の干支の彫刻は一見の価値があります。
正面には玉をくわえた龍が睨みつけるようにこちらを見ており、側面には虎などが彫られています。
羊だけ姿が見えないが、実は隠し彫りされているそうです。
大師堂の前にはたくさんのお地蔵さんが置かれていますが、その中で一番のお気に入りがこの「田の神さま」なのですが、今回、新しいエプロンがされていました。
エプロンの下の茶碗としゃもじを持った姿がいいのですが今回写せませんでした。

こちらが
本堂になります。
阿弥陀如来様が奉られています。
弘法大師が海難供養の護摩供をしたことから、海陸安全、福寿増長に御利益があるとされています。
寺には寛政年間(1789~1801)の納経帳が残っています。
九州からの遍路で当時は3ヶ月かけて88ヶ所を巡っていたとのこと
御詠歌
この世には弓矢を守る八幡(やはた)なり、来世は人を救う弥陀仏(みだぶつ)」
大意:今の世の中には戦いの神の八幡神がいらっしゃる。
しかし来世には人を救う阿弥陀如来になほるど、仏教の修行をしよう。

本堂に置かれている箱車、松葉杖、コルセットは、昭和8年(1933)に参拝した足の不自由な15歳の宮本武正さん(少年遍路)が使っていたものです。
栄福寺に参拝したとき、車を引いていた犬に引っ張られて本堂から転倒。
体をしたたかに打ち付けてしまいましたが、なぜかそのお陰でそれまで立たなかった足腰がすっかり治り、箱車を奉納して遍路を続けたといいます。
この話にあやかってか、薬師堂で線香の灰をもらい、病気平癒の祈願をする人も多いそうです。
他にも写真を写しています。
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栄福寺ヤフーフォト